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東京地方裁判所八王子支部 昭和33年(ワ)7号 判決

原告 田代徳子

被告 国

訴訟代理人 越智伝 外三名

主文

被告は原告に対し、別紙目録記載の土地を引き渡すべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、請求及び答弁の趣旨

原告代理人は、主文同旨の判決を求め、被告代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、事実上の陳述

原告の陳述

一、別紙目録記載の土地はもと原告の先代訴外亡田代熊治郎の所有であつたのを、昭和一八年一月六日右熊治郎の死亡によつて原告が家督相続によりその所有権を取得したものである。

二、以来右土地は原告の所有に属する。もつとも、昭和二〇年二月頃旧陸軍燃料本部拡張敷地として右の本件土地を(他の原告所有権をも含めて)陸軍省が買い上げることになり、原告側においては、当時原告は未成年者であつたので、母たる親権者訴外田代知江子において原告を代理して売買契約をなすための親族会の同意を得べく、右田代知江子において八王子区裁判所に親族会の招集を申請し、昭和二〇年二月二一日同裁判所からその招集決定を受け、また本件土地は先代熊治郎名義のままとなつていたので同年三月三一日家督相続による原告のための所有権取得登記を経て登記簿上の所有名義人を原告とするなど、右買上に応ずる準備を進めたことはあるが、右買上がなされないうち昭和二〇年八月一五日の終戦を迎え、同年九月二四日付で所管庁たる東部軍管区経理部は右買収を取り止め、その頃原告はその旨の通達を受けたのである。要するに原告は本件土地を被告に売り渡したことはなく、さらに右土地について被告が進めていた買収の計画そのものも取り止められた次第で、原告は依然右土地の所有者であるのに、被告は現在なんらの権限なくしてこれをアメリカ合衆国軍隊に基地の敷地として提供し、同駐留軍を通じて間接にこれを占有している。よつて原告は所有権に基き被告に対し本件土地の引渡を求める。

三、被告がその陳述二において主張する、本件土地を陸軍燃料本部拡張敷地用として、被告が昭和一九年一〇月一九日原告から買収した事実は否認する。仮りに右買収の事実があつたとするも、終戦と共に敷地拡張の目的が解消したので、被告の当時の所管庁たる東部軍管区経理部は昭和二〇年九月二四日付で売買契約上被告のため留保されていた解除権に基き、右売買契約を解除し、その頃右土地を原告に返還したのである。

四、被告主張の取得時効の完成の事実は争う。仮りに、被告主張の如く、被告が本件土地を原告から昭和一九年一〇月一九日売買により取得し、同月二九日頃から占有した事実があるとしても、被告は昭和二〇年九月二四日付で右売買契約を解除しその頃本件土地を原告に返還したのであるから、被告のための取得時効はその後に被告が本件土地の占有を始めた時から進行するものというべきである。のみならず、自ら売買を解除した後その売買によつて所有権を取得したとしてなす占有が、所有の意思を以てなされ善意、無過失に始められた占有といえないことは勿論であつて、取得時効の主張は全く理由がない。

被告の陳述、

一、原告主張する一の事実は認める。二、は、そのうち、本件土地の買上の計画がなされたこと(但し、その時期は原告の主張と異る。)、原告主張の親族会の招集申請、招集決定、所有権取得登記の事実(但し、その趣旨は、売買契約を締結するための準備としてではない。)、被告が本件土地を現在アメリカ合衆国軍隊に基地の敷地として提供し、同駐留軍を通じて間接に占有していることは、いずれもこれを認めるが、その他の主張事実は否認する。

二、本件土地は、昭和一九年一〇月一九日被告において原告から買い上げ、じ来被告の所有となつたものである。すなわち、大東亜戦争が本土決戦の様相を呈したため、陸軍燃料本部の空襲に対する防衛上、境界偽装の目的で、敷地を東南部、西南部、西北部、東北部で拡張することになり、右同日本件土地を含む民有地(乙第二号、証の地番記入の部分)を東部軍経理部において買収したのであり、本件土地はこのとき被告(その所管庁東部軍経理部)が原告の法定代理人親権者田代知江子から代金八四三四円で買収したのである。

(1)  東部軍において民有地を買収する一般手続は次のとおりである。

先ず、民有地の買収を希望する部隊、官衛(陸軍燃料本部などを含む。)が、買収について東部軍を経由して陸軍省に上申する。陸軍省が買収を決定すると、東部軍経理部に買収を指令し、それによつて経理部が地主から買収することになる。次ぎに、東部軍経理部としては、陸軍省から指令された買収予定地の略図に基き土地台帳、その附属地図(公図)などにより、買収予定地の地目段別、地主、価格を調査し、予定地の公図の正確な写も作成するそれが終ると経理部から地元の市町村長に通牒を出して、買収予定地の地主もしくはその代理人全員に一定にの日時特定の場所に集合して貰う。その会場には経理部経営課長または担当将校が出席して、土地を必要とする事情、価格などを詳細に説明した後、買収に同意する趣旨の地主の連名簿に捺印を求める(これがいわば売買契約書である。)などの方法によつて売買契約を締結する。この時には特に売買契約書と銘打つた書類の作成はしない。軍の用地の買収に際しては、右売買契約の締結に至るまでの一連の手続は秘密裡に行われ、一団の買収予定地の地主全員について同時に売買契約をしたのである。

かようにして売買契約が成立すると、登記及び代金支払の手続に移る。それには、先ず登記手続のために「土地売渡証書」、「登記承諾書」各一通、代金支払手続のために「土地代金請求書一二通に地主の住所、氏名を記入したものを準備し、次いで経理部の係員が右書類をもつて地主宅を戸別に訪問してこれに捺印を求め手続の容易なものから逐次登記して行くが、その登記原因としての売買の日は、前記売買契約成立の日である。

(2)  本件土地の売買の経過は次のとおりである。

本件土地は、陸軍燃料本部敷地拡張のため、その敷地の一部として陸軍燃料本部が陸軍省に上申し、陸軍省が昭和一九年四月四日陸普第一三五六号を以て東部軍経理部に買収について指令し、これに基き右経理部が前記一般的買収手続に従い同年一〇月一九日乙第二号証に地番が記入してある部分の土地を一団として買収した際、その一還として同日当時本件土地を取得していた原告の法定代理人親権者たる訴外田代知江子と売買契約を締結してこれを買収したのである。原告主張の親族会は買上に応ずる準備のためのものではなく、前記の如く、地主全員につき同時に売買契約を締結する必要上、原告の母たる親権者田代知江子は親族会の同意を得るいとまなくして右売買契約を締結したので、親族会の同意を得てこれを追認するために招集されたものである。

そして右の如く本件土地についての売買契約が締結されたので東部軍経理部は、右売買契約に基いて、陸軍省用紙を用いた土地売渡証書(甲第五号証)、登記承諾書(甲第六号証)を作成して登記手続に要する売主の記名捺印を求めるためこれを原告に送付した次第である。

三、右売買契約を被告の所管庁(当時の所管庁は東部軍経理部である。)において昭和二〇年九月二四日解除し、その頃本件土地を原告に返還した旨の原告の主張は否認する。

四、被告は本件土地を前記の如く、昭和一九年一〇月一九日売買により取得し、おそくも同月二九日頃から軍用地として使用、管理し、昭和二〇年九月頃米軍に接収され、じ来これをアメリカ合衆国駐留軍の使用に供しているのである。従つて、仮りに右売買が何らかの理由によつて無効であるとしても、被告は本件土地を善意にして、かつ過失なく占有を始め、じ来所有の意思で平穏かつ公然に占有して来たものであるから、昭和二九年一〇月二九日の経過と共に時効によつて本件土地を取得したものであり、本訴においてこれを援用する(昭和三四年八月一四日の本件口頭弁論期日)。

第三、証拠〈省略〉

理由

別紙目録記載の土地はもと原告の先代訴外亡田代熊治郎の所有であつたのを、昭和一八年一月六日右熊治郎の死亡によつて原告が家督相続をし、その所有権を取得したこと、被告が現に右の本件土地をアメリカ合衆国軍隊に基地の敷地として提供し、同駐留軍を通じて間接にこれを占有していることは、当事者間に争がない。

そこで被告主張の本件土地買収の事実について判断するに、成立に争なき甲第五、六号証、印影部分の成立に争なく他の部分は証人田代ハナの証言によつて成立を認める甲第八号証、成立に争なき甲第一〇号証、証人田中敏夫の証言によつて成立を認める乙第一号証の一ないし三、成立に争なき乙第二号証、第三号証の一、二、第四号証の一ないし四、第五号証の一ないし一四に証人服部知治、田口敏夫、飯原幸蔵の各証言及び証人田代ハナの証言の一部を綜合すれば、東部軍において民有地を買収するには大要被告の主張する如き所管と契約締結の手続とを以てしていたのであり、そしていささか疑がないでもないが、右の所管庁であつた東部軍経理部において、被告主張の如き目的から陸軍燃料本部の敷地を拡張すべく周辺の民有地を昭和一九年一〇月中買収したのであり、その一環として本件土地を他の原告所有地数筆と共に (買収代金計一万七一七〇円の定めで、内本件土地の分は八四三五円。)原告側から買収する旨の契約を、右の一般の手続に従つて成立させたものと認めるのが相当であろう。前記甲第五、六号証は未だ売渡証書、承諾書として未完成であり、かつ、原告の手裡に存するけれども、前顕諸証拠によれば、被告においてはその主張のような方法と手続によつて民有地買収の契約を締結し、契約が成立した後においてその契約内容に従つた右甲第五、六号証の如き「土地売渡証書」「登記承諾書」なる書面を作り、売主の氏名、住所まで記入したものを売主に交付し、売主がこれに捺印などおして完成したものを被告に差し入れさせて書類上形式をととのえることにしていたことが窺われるから、右甲号各証の所在、その不完備の事実を以ては右買収契約成立の認定を動かすに由なく(なお、右甲第五、六号証に、その名義人を田代熊治郎としてあるのは、買収土地の当時の所有名義にあわせて、かように記載したものと推認される。)、また成立に争なき甲第七号証によれば、昭和二〇年二月二一日付で、原告の実母田代知江子が原告に代つてその所有不動産を「売却ニ付可否議決ノ為」に親族会の招集決定がなされたことが認められるけれども、前掲諸証拠と対比すれば、右「売却ニ付」というのがこれからなす売買についての趣旨であるとするも弁論の全趣旨によれば、当時未だ売渡証書の差入もなされていなかつたことが明白であり、かような状態の下で、いわゆる正式の売買なるものは未だなされていないと考えるのも一おう無理からぬことであるし、その他原告側がどのような考えからどのような趣旨で右の申請をしたかのせんさくはしばらくおき--、右は原告側の一方的な誤つた措置と見るのが相当であつて、以て前記買収契約成立の判定を動かす力なく、また右認定に反する証人田代ハナの証言部分も信用できず、他に右認定を左右する資料は存しない。

そこで原告主張の買収契約解除の点について判断するに、前記甲第八号証、証人田代ハナの証言によつて成立を認める甲第九号証に、同証人の証言を綜合し、なお、前記の如く本件土地及び他の原告所有地数筆は附近の民有地と共に空襲に対する防衛の目的から陸軍燃料本部の敷地の拡張のため昭和一九年一〇月中被告に買収せられたものであつて、成立に争なき甲第一ないし第三号証と前記乙第五号証の一ないし一四とによつて明かな如く、原告かの買収地以外の買収地の多くのものについては、すでに買収後おそくも四、五ケ月内に被告のための買収による所有権取得登記が完了されているにかかわらず、本件土地については買収後十数年を経た現在に至るもその登記がなされていない事実を附加して考えると、原告からの買収地に関しては登記、土地についての代金の支払等を遷延して経過しているところへ昭和二〇年八月一五日の終戦を迎え、防衛の必要が消滅したので土地不要となつたがため、被告は、前記甲第五号証によつて窺われる自らに留保していた契約の解除権に基き、同年九月頃原告との買収契約を解除し(証人田代ハナ、飯原幸蔵の各証言からすれば、甲第八号証記載の藤田信は、被告の(所管庁において決した)解除意思の伝達現地返還の作業等に従事していたものと推認され、甲第八号証は被告の解除の伝達をかねて返還現地への立会を通知、督促する趣旨の書面であると見るのが相当であるが、仮りに藤田信自らが被告のため同証によつて解除の意思表示をしたものとすれば、前掲諸証拠及び事実から推すに、同人は所管庁から解除権を委譲せられて右の意思表示をしたものと見るべきである。)同月末頃買収地を原告側に返還引き渡し、原告は返還地のうち本件土地以外のものはすでに財産税のため物納したものであることが認められるのであつて、右認定を覆す証拠は存しない。もつとも防衛の必要の消失による買収目的の消滅は被告の前記買収地全部についていえることであるのに、以上の認定から推認される如く多くの土地あるいはむしろ大部分の土地について買収解除のなされていないことは事実であるが、前掲諸証拠及び事実と対比すれば、この差異の存在の一事を以ては原告に対する買収解除の前記認定を動かすことはできない(しかも、前記認定の如く、原告からの買収地については、当時登記、土地についての代金の支払も末了であつたのであり、また証人田代ハナ、服部知治の各証言によれば、前記認定の如く原告に対して買収解除、土地返還がなされた直後にあたる時に、米国駐留軍によつて本件燃料本部跡地の接収が開始されたことが分るのであつて、これらの事実からすれば、被告がかかる事情、生起した事態に対応して措置したことの結果が前記のような差別となつたのではないかとも憶測されるのである。)。

よつて次に被告の取得時効の主張について判断する。被告は昭和一九年一〇月一九日本件土地を原告から買収し、同月二九日頃からこれを占有したりとして、この時から民法第一六二条第二項による時効の進行を主張し、そして被告の本件土地の買収の事実の是認されること前記の如くであるところ、仮りに被告主張の頃から被告において右買収に基き本件土地を占有したものとしても、前記認定の如く被告は昭和二〇年九月頃右買収を解除し同月末頃本件土地を原告に返還したのであるから、被告のための取得時効はその後において被告が改めて本件土地の占有を始めた時から進行するものとなすべく(もともと買収に基く占有の開始から右買収解除による土地返還までの被告の本件土地の占有は、その有した所有権に基く自己の物の占有なのであるから取時時効の基礎たり得ない。)そしてこの占有について被告は右買収に基いての所有の意思を主張するものに外ならないのであるが、その買収はすでに被告の改めて占有を始めたるべき時以前に被告の解除していること前記認定の如くであるから、被告の改めて始めたるべき占有なるものは、いわゆる権原の性質上所有の意思を以てする占有とはいえないことになるし、仮りにそうでなくとも自ら解除した買収契約に基き所有権を取得したとしてなす占有の開始なるものが善意、無過失といえないことは勿論である。被告の取得時効の主張は採用できない。

以上の如く別紙目録記載の本件土地は原告の所有であり、被告においてアメリカ合衆国駐留軍を通じて現にこれを占有しているところ、被告の右占有の権限については他に主張立証がないから土地所有権に基き被告に対しその引渡を求める原告の本訴請求は正当として、認容すべく、民事訴訟法第八九条を適用して主文の如く判決する。

(裁判官 古原勇雄)

目録

東京都府中市常久字蛇久保三七五番

一、山林 四反八畝一七歩

同所三七六番の一

一、山林 三反八歩

同市是政蛇窪前二〇七三番の一

一、山林 一畝一五歩

以上

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